f-rairaiのブログ

ダイエットを効率よくするには

viviennewestwoodについて

こんばんはURKです!

 

記事をいつも見てくれてありがとうございますみなさんはvivienne westwoodって知ってますか?

読み方はビビアンウエストウッドです

ビビアン!は聞いたことはある人はあるんじゃないですかね?

ぼくが1番好きなブランドです

f:id:f-rairai:20181012144814g:image

今日は、僕が愛してやまないviviennewestwoodの魅力についてご紹介させてください。

 

f:id:f-rairai:20181012145806j:image

ヴィヴィアン・ウエストウッド(Dame Vivienne Westwood, DBE、1941年4月8日 - )は、イギリスのファッションデザイナーおよび、ファッションブランドである。

ブランドロゴは「王冠」と「地球」をモチーフにしたオーブ (ORB) 。

f:id:f-rairai:20181012145219j:image

反逆性とエレガンスを兼ね備えたアヴァンギャルドなデザインで知られる。

 

主はこのロゴマークに心を打たれました笑笑

 

そんなvivienne westwoodさんの経歴

イングランド中部ダービーシャーで、ヴィヴィアン・イザベル・スウェア (Vivienne Isabel

Swire) として生まれる。若い頃は美術教師を志す。 Harrow School of Art - ウエストミンスター大学卒業。最初の夫はデレク・ウェストウッドで、長男ベンジャミンをもうけるが、3年後の1965年に破局。1967年には無政府主義政治団体 (Situationist International) に属して活動していたマルコム・マクラーレンと出会う。彼との間に次男ジョセフが生まれている。

 

1971年にマルコムと共に、ブティック「レット・イット・ロック」をキングスロード430番地にオープン。1974年、店名を「SEX」に変える。1975年にマルコムと共にパンク・ロックバンドセックス・ピストルズをプロデュース。

 

バンドのメンバーは「SEX」の従業員や常連客であった。なお、のちにマルコムはセックス・ピストルズのマネージャーとなる。SMの要素を採り入れた前衛的なパンクのスタイルを流行させ、「パンクの女王」と呼ばれることになる。

 

1976年、店名を「セディショナリーズ」に変更。1979年にブティックを「ワールズ・エンド (World's End) 」に変更する。この店舗は現在もキングスロード430番地に存在している。

 

1981年にヴィヴィアン初のキャットウォークコレクション。同年のテーマはサヴェッジとパイレーツ。1982年にはホーボーとバッファロー。当時の彼女のコレクションテーマは「金と財宝、冒険と探検」であった。

 

その後デザインの傾向を19世紀以前のヨーロッパの衣装からインスパイアされた、エレガントな路線に変えている。1993年、レディース部門を分割。ファーストラインはヴィヴィアン・ウエストウッド ゴールドレーベルプレタポルテおよびライセンスはヴィヴィアン・ウエストウッド レッドレーベルとなった。1998年には、過去のコレクションを復刻したカジュアルラインであるアングロマニアを発表した。

 

2006年には、ファッションデザイナーとしての貢献によってデイム (DAME)の称号を授与されている。

2015年には、水圧破砕法によるシェールガス採掘に反対するためデーヴィッド・キャメロン首相に対し戦車による抗議デモを行った[1][2][3]。

日本でも愛好者は多く、1996年には日比谷に旗艦店「Vivienne Westwood Tokyo」を開店(現在は青山に移転)。またこの年のミラノ・コレクションで、本格的なメンズライン、ヴィヴィアン・ウエストウッド マンを発表。

 

現在は、元教え子で25歳年下のアンドレアス・クロンターラー (Andreas Kronthaler) と結婚している。

 

主なブランド名

ヴィヴィアン・ウエストウッド ゴールドレーベル (Vivienne Westwood Gold Label)

レディースのファーストライン。パリコレクションで発表される。


ヴィヴィアン・ウエストウッド レッドレーベル (Vivienne Westwood Red Label)

レディースのプレタポルテライン。ロンドンコレクションで発表される。

株式会社インコントロにより日本にてライセンス生産有。


ヴィヴィアン・ウエストウッド マン (Vivienne Westwood Man)

メンズライン。ミラノメンズコレクションで発表される。
株式会社ライカにより日本にてライセンス生産開始。
現在はジョイックスコーポレーションにより日本にてライセンス生産されている。


アングロマニア (Anglomania)

カジュアルライン。過去のデザインからの復刻。

 

      the ord(オーブの由来)

f:id:f-rairai:20181012225742j:image

ヴィヴィアン・ウエストウッドと言えば、色鮮やかなオーブのロゴを真っ先に思い出す方が多いのではないでしょうか。天体のような、王冠のような、皆さんの大好きなオーブを、一体どのようにヴィヴィアンはロゴとして使うようになったのでしょうか。

 

ヴィヴィアンと当時のパートナーであったマルコム・マクラーレンが別れた1985年頃、Worlds endは約1年ほど閉店していました。その間、ヴィヴィアンは友人のデザイナー、フィオルッチを頼りにイタリアへと渡り、彼のスタジオを使わせてもらいながら、王室をテーマにした創作活動に励んでいました。

 

未来に伝統をもたらす由緒正しい王室だけれども、未来的な要素を何か取り入れたいと思いながら彼女は作業をしていました。そこで彼女は、チャールズ皇太子が休みの日に着ることをイメージして、ニットのセーターを作り始めました。チャールズ皇太子が持っていそうなグリフィスや、ナショナルシンボルであるスコットランドのアザミ、ウェールズのリークや、アイルランドのシャムロック、王冠やそれに付随する宝石の中から天体(オーブ)を選んで、そのセーターのデザインに落とし込みました。

 

そして未来感を出すために、ヴィヴィアンはその天体に土星のような衛星の環を付け加えたのです。そのアイディアは、イタリアへ渡る直前のヴィヴィアンに息子ベンが見せた天文学の雑誌が影響していると言われています。彼女はベンの雑誌を借り、’Deep SKy’と言うタイトルの、土星の環の仕組みが書かれた記事を読み、ギャラクシーやブラックホールの写真をとても興味深く見ていました。

 

その当時、ヴィヴィアンは友人に頼んでブランドのロゴ作りにも取り掛かっていました。しかし彼女の友人であり、今はウエストウッドのCFOでもあるカーロが、仕上がったそのセーターを見て、そこに付いている天体こそ、ヴィヴィアン・ウエストウッドロゴにぴったりだと彼女に伝えました。こうして、未来に伝統をもたらしたいと考えていた彼女のアイディアが反映されたオーブのロゴが誕生することになったのです。

 

Logo of Worlds End(ワールズエンドロゴの由来)

f:id:f-rairai:20181012230847j:image

1980年、セックス・ピストルズシド・ヴィシャスの死と共にパンクも終わり、ヴィヴィアンと当時のパートナー、マルコム・マクラーレンは、パンクの次となるものを探していました。その過程で見つけた2冊の素晴らしい本を、マルコムはヴィヴィアンの息子のベンとジョーに買ってきました。一つはダグラス・ボッティング著書の「ザ・パイレーツ」、そしてもう一つはベンジャミン・キャップス著書の「ザ・グレート・チーフ」でした。

 

「ザ・パイレーツ」は17世紀から19世紀に世界中で悪名を轟かせた海賊について書かれており、「ザ・グレート・チーフ」は、様々な北アメリカの先住民であるインディアンの族長について、また彼らの文化、そしてアメリカが接触してきた後に、チーフたちはどのように彼らの生活を保護したかについて書かれていました。

ワールズエンドのロゴに影響を与えたのは、「ザ・パイレーツ」の方でした。

 

その本は1695年に亡くなった有名な海賊、トマス・テューについての話でした。テューは政府に認められた泥棒、いわゆる私掠船の船長で、彼が初めて受けた依頼は、バミューダの大佐から、西アフリカ海岸沿いのフランスの工場を破壊することでした。しかし彼は自身の考えを変え、海賊行為、または個々に動機付けされた泥棒に変わることに決めました。

 

私掠船は法で認められていて、海賊行為は違法でした。このことを船員に告げ、彼らのサポートも得て西アフリカの代わりに航海に向けて出帆し、希望峰やマダガスカルを通りました。この旅でテューと45人の乗組員はインド洋のダウ船に捉えられてしまいますが、1964年、テューは二度目の出帆を果たします。しかしその航海もうまくはいかず、1965年に大砲で撃ち殺されてしまいました。トマス・テューは海賊でしたが、自らを海賊とは呼ばず、封建社会のない新しい世界を作ることを夢見た大変な人格者でした。当時の海賊は、それぞれ自分たちの旗を作っており、黒地をバックグランドに、白地で短剣を手にした腕の旗がトマス・テューの旗でした。そしてそれをマルコムがワールズエンドのロゴにしようと決めたのでした。

                   有名な柄

 

トランプ柄

f:id:f-rairai:20181012224913j:image

〈ハート〉 愛、自由な世界&IOU
〈ダイヤ〉 欲 腐敗 プロパガンダ
〈クローバー〉 戦争
〈スペード〉 地球を凌辱する巨大企業

各モデルのメイクはこの 4 つのシンボルを表現している。

 

私たちが毎週 1 枚ずつ公開しているトランプのカード。私たちはスペードのエースから始めた。全ては関連していて、サッカーカードのように集めてもよいし、また行動計画や測量図にしてもよい。点と点が繋がり全体像が見えた時、自由な世界を勝ち取ることができる。その第一歩は、グリーンエナジー供給会社に切り替えること。

 

-4 つのシンボル全てを使ったプリントがある。
ナチュラルなホワイト地のRainforest(熱帯雨林)プリントから始めよう。小さなブラックの円が動物の斑点 のように見えるが、この円は×10 を繰り返して果てしなく増えるお金のゼロを意味している。このゼロ少しで 熱帯雨林を保護できるのに、世界的なインフレによって日々何十億が消えている。他に同じメッセージをブラックの文字で表現したグラフィックプリントがある。

 

これらの基本ルックに別のアイテムを加える。ファッションテーマはなく、ただ半裸。シャツ一枚のルックは恐らく最もshirtlikeshirt(シャツのようなシャツ)を表している。純粋!くだらない?その他、jacketwhichsaysjacket(ジャケットというジャケット)、 mostdynamicjacket(最もダイナミックなジャケット)、ajokeofjeans(ジーンズのジョ ー ク) 、universalshortesttrouser(普遍的極短ショートパンツ) 、 gestureofasweater(セーターのジェスチャー)など。そして一番セクシーなドレスはネット T シャツに重ねて世界最年長者が着るのがふさわしい。ドレスにはトナカイを追って大地を横断する狩りの集団を描いたCave(洞窟)プリントが施されている。私たちは独自の進化を生き残れるだろうか。慌てないで。

 

                         主が好きな言葉 

よく選び、必要なものだけを買い、長持ちさせること’

 

Squiggle prinr(スクイグル柄)

f:id:f-rairai:20181012230320j:image

 

ヴィヴィアン・ウエストウッドを代表するプリントと言えば、何といってもスクイグル柄のプリントではないでしょうか。この人気のスクイグルプリントが初めて登場したのは、1982年のパイレーツコレクションでした。

 

ガーメント作りに、左右非対称のカッティング法を初めて取り入れたそのコレクションで、スクイグルがそのガーメントにプリントされて出てきたのです。

スクイグル柄の由来は、ヴィヴィアンとマルコム・マクラーレンの友人であった、ファッションデザイナーのジャン・シャルル・ドゥ・カステルバジャックのスタジオで、二人が見つけた木のブロックの模様でした。何の変哲も無い木の模様を見た二人が、それをスクイグルのデザインに落とし込んだのです。

 

1982年以来、ブランドのアイコニックな模様として愛され続けるスクイグル。ドレスやコートのスタイルが特徴的なブランドは多く見られますが、このように長く人々から支持され続けるプリント柄があるというのは、何ともヴィヴィアン・ウエストウッドらしいのではないでしょうか。

 

Viviennes playing cards ninsdol

 f:id:f-rairai:20181012231107j:image

 

NINSDOL’という言葉が初めて登場したのは、AW2005/6 ‘ Propaganda’ コレクションで、「Nationalist Idolatry(国家主義者の盲目的崇拝)」 「Non Stop Distraction(止まらない破壊)」 「Organised Lying(組織化された嘘)」の頭文字を取ったもので、あたかも薬の名前であるかのように想定して作られた言葉です。

 

‘生まれたその日から、あなたの無料の薬、Ninsdolが毎日’というキャッチフレーズが、その使用を促すことを目的に使われ、その使用が人々のマインドをコントロールし、人々は自分たちを支配する党派の、隠されたアジェンダに従おうとします。

 

イギリスの作家、オルダス・ハクスリー(彼の著書で最も有名な本は’素晴らしい新世界’です)は、これら3つの悪魔が近代のデモクラシーを脅かす核であると描写した人です。ヴィヴィアンはそれらはまさにプロパガンダの科学を明確に表したものだということに気づきました。頭文字と薬のオリジナルのアイディアは、ヴィヴィアンの知的な友人、ギャリー・ネスのアイディアでした。

 

これら3つの悪魔の中でも最も危険なのは「Non Stop Distraction(止まらない破壊)」です。人々がすること全てを奪い取ってしまいます。最近のことで言えば、ガジェットやファッションやゴシップ、人気があるのはたったの10分だけで、それから人々はそれらには既に飽きてしまい、次の物を探し始めるのです。そうすることは簡単なことです。人々はオリジナルの思考や創造力なんてものに関心がなく、他の人たちとは違う考えを持たないのですから。だから恐れや先入観に容易に操作されるのです。

 

これも主が好きな言葉です

‘ NINSDOL’を飲みなさい、馬鹿になっても、トラブルには巻き込まれないように。

 

最後にvivienne westwoodといえばアーマリングですよね笑

 

Armed ring(アーマリング)

f:id:f-rairai:20181012232437j:image

ヴィヴィアン・ウエストウッドを代表するアイテムのひとつ、アーマー・リングは一体どのように商品化されることになったのでしょうか?今回はそのアーマー・リングの謎を紐解いていきます。

 

ヴィヴィアンが大好きなロンドンの美術館と言えば、彼女のコレクションにもなったウォレス・コレクションです。地下鉄ボンドストリートの駅から歩いて10分、マンチェスター・スクエアにあるウォレス・コレクションは、15世紀から19世紀にかけての世界的な美術作品、家具や磁気、武具を展示する美術館で、驚くことにその全てがプライベートのコレクションです。ヴィヴィアンは、ロンドンに来た人にはまずウォレス・コレクションに行くことを何よりも先に勧めます。


ヴィヴィアンは教育の一環で、ある日息子のベンに、ウォレス・コレクションに行き、デッサンをして来るよう伝えました。ウォレス・コレクションにはとても広い武具、甲冑のセクションがあります。そこで甲冑のデッサン、特に腕から手にかけての部分を細かく描いてきた息子の絵を見たヴィヴィアンは、またもそこからアイデアを得るのです。甲冑その物も素晴らしいのですが、指の部分のユニークさに気付いたヴィヴィアンは、それで指輪を作ってみることにしたのでした。それがアーマー・リングの始まりです。

 

ヴィヴィアン・ウエストウッドの商品の素晴らしさは、その朽ち果てることのない唯一無二のデザインにあるとも言えます。アーマー・リングは、世界中の人たちを今も魅了し続けています。
 

他にもマウンテンハット、ロッキンホース・シューズ、パイレーツブーツやら、額縁柄とかすごく有名です!

 

Vivienne westwoodは本当に素晴らしいブランドなので

ぜひ機会があれば買ってみてください!

 

 

本日は最後までありがとうございました!